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コラム No. 22

キャリアパス

優れたエンジニアは、優れたマネージャになれるのか。

会社と言う組織に属すると、会社の新陳代謝や成長という意味でも人間の流出が必要になってくる。業績悪化を原因に一時的にでも新卒採用を停止した場合、組織の構成のバランスが狂い、それを再びバランスの取れた状態にするのには業績を戻す以上の時間がかかるとも言われる。

新人が入ってくるということは、既に居た人はポジション的には上に押し上げられることが自然な流れである、実力が伴えば。そこで、この問題が出てくる。優れたプログラムを書くエンジニアは多々居る。それが年功序列的にプロジェクトのマネージメントを任せて行って良いのだろうか。

結論から書くと、無理がある。私が体験的に知っている方法は、2つのキャリアパスを用意することだ。マネージャに進むパスと、シニアエンジニアに向かうパス。どちらに進むかは本人の自己判断。マネージャを決意した者は、プログラムだけでなく人のマネージメントを学習する。シニアエンジニアへ進んだ者は、より高度なプログラミングスキルを要求され、チーム内外の相談役も暗黙のうちに引き受ける。

何故、このようなパスが用意されたか。それは問題があったからだ。優れたエンジニアが優れたマネージャになれない現実があった。プログラミングは協調能力は必要だが基本的に個人技で端末に向かって職人のようにコツコツゴリゴリとコードを書く。物言わぬデータ構造やロジックの良し悪しを吟味する。それがある日突然、人を相手にし、人を評価することになる。エディタとデバッガが友達だったのが、Officeツールで更に上のマネージャに報告書を書く時間が増えていく。全くの別世界だ。

かと言ってシニアエンジニアへの道も平坦ではない。昨年の自分よりもスキルが上がり、会社に貢献していることを、どう数値化するのか。綺麗なロジックが書けても、それが能力評価には中々結びつかない。会社も年俸制にして目標設定と達成度を測ろうとしたり、試行錯誤を繰り返す。多分今も。

では、デザイナである。絵が描きたい、ファンタスティックなサイトを創りたい、で、この業界に入った人の先はどうなるのだろう。いや別の理由で入ってきた人でも良い。この道はどこにつながっているのか。

最近教育関係の方と会っている。話題は、デザイナ創出ではなく、ディレクタ創出だ。相手が私達だからその話題になる可能性はあるが、学校としては、サイト構築プロジェクトのディレクションをできる人材を如何に世に出していくかが大きな課題のようだ。絵が描けるだけではない、プログラムが書けるだけではない、全体を見渡して進めていく能力。能力の上下ではない。別の能力。

エンジニアの将来像と同じような未来図が頭に浮かぶ。一生デザイナで生きていく者と、ディレクション側に移っていく者。これまたエンジニアの場合と同じで、どちらも平坦な道ではない。プログラムは通常ソースは開示しないので、書き手の能力がそのままアラワになることは少ない。設計の要素がクッションになる。しかし、絵は違う、大雑把に言ってしまうと、時代に受けるか受けないかの判定が結構容易についてしまうのではないだろうか。1ピクセルの勝負が何処までいつまで続けられるか。また、ディレクタも大変である。自分と同じような一癖も二癖もあるデザイナと、それと水と油に喩えられるエンジニアと、クライアントと、気まぐれなエンドユーザを相手にする。スゴロクの「あがり」という訳には人生いかない。

家庭や子供といった要素から、経済的に若い時のままでは立ち行かなくなる。何らかのベースアップをしていかなくては困る。困るのは贅沢するためや偉ぶるためではない。デザイナは豊かに暮らすべきなんだと思っている。デザイナはその作品を見た者に何かしらのある種の「感動」を与え続けることに使命がある。だとしたら、その感動は、ストイックな中から生まれ続けるのだろうか。たぶん、無理がある。だから自分が豊かを目指さなくてはいけない。但し、豊かさの定義が個々人で異なる。短絡的にサラリーアップではないのだろう。

豊かになるために、多少の苦労もする。なんだか矛盾めいた話だが、それも必要ではないかと思えてきた。同じ平坦でない道であるならば、どちらが好きになれるかを少しは備えて見ておいた方が良い。大きなお世話だ。高校生のとき将来を考えろと怒鳴っていた先生を煙たく思っていた自分を思い出す。でも、子供も大きくなりかけてきた私の年代ではそうも言っていられない。今から5年後自分は何処で何をしているだろうか。Webから振り落とされずに、自分の縄張りをまだ持ち得ているか。そこで豊かになっているか。そのための準備は?

コンテンツがBB時代を迎える。それが見えていたから、敢えて基本となるサイトの構造をきちんとしておかなくては困るぞ、と先読みした。どうすれば論理的にサイト構築ができるのか。ツールで解決できるのではないか。それがRidualの発端だった。業界の先を考えるのは苦しくもあるが楽しいので悶々とでも考える。でも自分の将来像は考えにくい。でも、考えなきゃいけない。

自分以外にも考えて欲しい。Ridualにはそんな想いも詰まっている。21世紀に入ってしまったけれど、まだまだ20世紀型開発手法に囚われている。そんなのを通り越して、新しい領域に行きたい。だから今あるものを体験できるように形にした。デザイナの方にも使って欲しい、こんな苦労があるよね、でもこんな解決方法もあるよね。でも、まだまだもっと良い方法があるよね。そんな風に先を見てみたい。

こんなスタンスが、Ridualの製品化のネックにもなっている。これは単なるツールじゃない。考え方を含んでいる。人によっては、とんでもないお節介ツールに見えるだろう。そんな思想めいたものにニーズがあるのか、売れるのか。商品になるのか。今までかかって築いてきた開発手法を再度考え直してまで導入してもらえるのか。マーケット的には不安だらけだ。商品化したら、その後の開発の継続はどうなるのか、一発屋で終わらないだろうな、興味を持ってくれている方も不安だろう。デッドロック状態。

最近ダウンロードの頻度が増えてきている。迷惑かと遠慮して、mailコンタクトも取っていないが、平日は1~2時間毎には気になってチェックしている。殆どが本物のアドレスを記してくれている。その会社のHPにも訪ねていく。気になる組織からのアクセスだと感動する。色々とどう使われるのかを考える。打って出れるだけの市場性はあるのかも考える。

開発者のキャリアパスだけでなく、Ridualも一歩進んでは分岐路にぶち当たる繰り返しだ。でも、そろそろ次のパスを選ばなくてはいけなくなってきている。

以上。/mitsui

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